砂嘴の一本道へと向かう大天橋。手前には文珠地区と天橋立を結ぶ廻旋橋がある。
天橋立は日本三景の一つ。
「丹後国風土記」にはイザナギノミコトが天と地の逢瀬のため梯子を作って立てた「天の橋立」が、寝ている間に倒れ伏した、と記されている。
白い砂浜と青松が続く一本道。深い青の宮津湾と穏やかな内海である阿蘇海のきらめきも相まって天橋立は、今なお目に美しい姿をたたえている。砂嘴という独特の地形がまた、太古の昔から人々のロマンを刺激してきたようだ。龍、羽衣…数々の伝説に彩られ、それを裏付けるかのように神秘的なストーリーが、あちらこちらに散らばっている。
まず、はじまりは天橋立から。その一つ一つを、丁寧にひも解いていく旅にでてみたい。それが一本の線に繋がったとき「ここに日本の源流がある」と気づかされるはずだ。私たちを魅了してやまない。そんなストーリーが待ちうけている場所をめぐる。
登山バスで本堂までいくと、ついつい素通りしてしまう山門だが、美しい朱塗りの門と守護神として安置する仁王像は必見の価値。
雪舟はその様子を極楽浄土に見立て、あの有名な「天橋立図」(国宝)を描いたとも伝えられている。『かつて天橋立は元伊勢籠神社、成相寺の参道として賑わいました。一帯 は府中といわれ、政治・文化の中心だったのですね』と成相寺の石坪弘眞山主は話す。天橋立を見おろす成相山の中腹に位置する成相寺は、文武天皇の勅願所として704年に開かれ、山海の険しくも明媚を有していたので丹後地域の山岳信仰の場でもあった。尾根には龍がいて、暴れると災害を招く事から、地元の有力者達も足しげく祈祷に訪れたという。
成相寺に伝わる「成相寺参詣曼荼羅」は、諸国からの参詣者の様子を描いたものだ。『西国三十三札所の第28番ということで、色々な人が行き来していたようです』。本堂に掲げられる「真向の龍」は、希代の彫刻師、左甚五郎作と伝わる。彼も参拝客の一人だったのだろう。そんな思いを馳せながら、つづら折の山道を下るのも楽しい。たどり着いた先のバス停の山門では、左右に有した見事な仁王像も見逃せない。
国宝「天橋立図」(室町時代)雪舟画 京都国立博物館蔵
1.成相寺、石坪弘眞山主。2.成相寺の縁起を記した日記を現代語版に直したもの。3.本堂は1774年建築。安置されているご本尊の木造聖観世音菩薩は平安時代の作。4.正面を見据える迫力ある左甚五郎作「真向の龍」。
1.山門から続く階段を上ると入母屋造の本堂が見える。2.ご本尊は美女観音としても有名。雪舟が書いた五重の塔、底なしの池など見所たくさん。3.仁王像は快慶の作と伝わる。