海の京都

ROOTS of
海の京都日本の源流を訪ねる巡礼ツアー

Episode1
鬼のいた道と、本当の浦嶋伝説


スクロール

Prologue

海の京都を知っていますか?

京都市内から、北に車を走らせること約2時間。丹後地域と呼ばれる、7つの市町によって構成されるエリアが、海の京都だ。豊かな海とその幸に恵まれ、農業も盛んな山紫水明の地。このあたりにはかつて、強大な古代文明があった。

古代より、この地域一帯はタニハと呼ばれていた。それは、今の京都府亀岡市以北から日本海沿岸地域までに至る、幅広いエリアを含んでいたという。タニハの語源には諸説ある。天から降り、たわわに実る稲穂をみた豊受大神が「あなにえし、おも植えみし、田庭」と喜び、この地をタニハと名付けたとする説が有力だ。

日本海に開いた地形と独自の風土を持ったタニハは、古の時代より大陸との貿易も盛んだった。弥生、古墳時代には製鉄など高度な技術を持ち、生産や流通の一大拠点として、財と力のある最先端の国でもあった。事実、この地域には、豪奢な副葬品を伴った数多くの大型古墳が存在する。現存するそれらの姿を見れば、当時の様子をうかがい知ることができるだろう。

一方、奈良時代、大和朝廷が地方の様子を知るために作らせた「丹後国風土記」の中には、国生みの舞台となった「天橋立」、うらしま太郎伝説の「浦嶋子」や天女羽衣伝説の「奈具社」などがある。また「古事記」「日本書紀」にも、この地域にまつわる鬼退治の記述が見て取れる。タニハに関する多くの記述や伝承…それを見ると、この地の持つ文化の豊かさや影響力がいかに大きかったのかがわかる。

この巡礼ツアーは、地域に散らばる歴史的事象、神話や伝承を一つ一つ丁寧に紐解きつなぎ合わせていく。点在するその地を訪ね歩きながら、時空を超え、土地ならではの濃密なコミュニケーションを体験してもらうのが目的だ。旅の終わりには、「海の京都」の本質を感じとってもらうことができるだろう。

さぁ、日本のルーツを探しに海の京都を巡礼する旅にでるとしよう。それはきっと、旅人の知的好奇心を刺激するはずだ。

1.鬼のいた道を行く

JR福知山駅から小さな電車にガタコトと、揺られること20分。大江駅に着いた。今回の旅は、ここからはじまる。深い渓谷や手つかずの自然が今も残り、神秘的な雰囲気を醸し出す。タクシーに乗り府道9号線を行くと、左手に美しい円錐形をした日室ケ嶽が見えてくる。元伊勢三社の参道に遥拝所があり、その美しい姿をより間近に拝むことができるという。霊験あらたかなパワースポットとして、今もなお、全国から参拝者を引き寄せている場所だ。夏至の日、遥拝所から頂上を眺めると、太陽がちょうど山頂に沈み込むのだ。機会があれば一度拝んでみたい。

大江山は、実際には頂上を持った山が存在するわけではなく、丹波と丹後の境界にそびえる連山の大江山連峰を総称していう。古よりこの連峰は、人々が行き交う交通の要塞でもあった。この地の険しく圧倒的な自然の様は、畏敬の念を与えたに違いない。日中でも薄暗く、うっそうとした森林は、いかにも何かが起こりそうなロケーション。天然杉が群生し、中には樹齢300年の芦生杉もあるという。「酒呑童子」「麻呂子親王」「日子坐王」。この地域に三つも伝承されている鬼伝説は、この環境と無関係ではないだろう。「鬼」が生まれた背景には諸説あるが、自然の猛威への恐れから「鬼」が成立したという説がある。なるほど、この地にくればうなずけるものがある。まずは、縁の地を訪ねてみることにしよう。

清園寺は、麻呂子親王の開基と伝えられる。建立時に親王が献じたという鞍が現存。寺に伝わる南北朝時代の作風の「紙本着色清園寺縁起」は、麻呂子親王が勅命を受け鬼退治に向かうストーリーを描いたものだ。麻呂子親王伝説を伝える最古の作品で、必見の価値がある。さらに二瀬川渓流沿いに北上を続けると、その左岸にあるのが鬼ケ茶屋だ。長元年間(1028-1036)に丹後守になり国府宮津に赴任した平安中期の武将に、藤原保昌がいる。妻は女流歌人の和泉式部。武勇人であったが、歌人でもあった。その藤原保昌が、大江山に住む鬼=酒呑童子を退治するために、源頼光らと共に大江山に向かった。それが酒呑童子の鬼伝説だ。この鬼ケ茶屋は、一説によると藤原保昌の末裔が始めたのでは ?との伝承もある。酒呑童子伝説を描いた2組の木版刷り「大江山千丈ケ嶽酒呑童子由来」が残されているというから興味深い。酒呑童子の鬼伝説は、王朝に逆らうものとして仕立てられたケースという説もある。これらはあくまでも想像上の物語、だというのにこの界隈には、実にリアルな痕跡が点在している。時代とともに移り変わる鬼の姿も、鮮明によみがえってくるのだ。その足跡を辿ることは、旅の好奇心を刺激する要素の一つ。

鬼ケ茶屋
田中製紙工業所
サイドストーリー1

江戸時代には200件の近くの製紙所があった大江二俣地区の手漉き和紙は、現在は田中製紙工業所のみになってしまった。5代目当主の田中さんは、原料となる楮を地元の畑で栽培し、宮川の水を使って和紙を漉く。伝統的な技法で、この土地ならではの和紙を作る職人だ。京都府指定無形文化財。工業所のショップを訪ね、近隣にある大江町和紙伝承館で田中さんの和紙づくりに触れてみたい。

2.天地降臨の地、天橋立へ

さて、天橋立へは、都から丹後を結んでいたいという古道で峠を越え、上宮津を経由してアクセスする。この辺りは蛇紋岩という特異な地質を持つ。山から流れ出す伏流水はマグネシウムを多く含み、その恵みで育てられた上宮津の米は評価も高い。中でも棚田100選にも選ばれている毛原地区の棚田米は美味しいと評判だ。道幅が狭く、険しい「元普甲道」という古道は、地元民の日常生活の道路だったのだが、天橋立や成相寺方面への参拝の道だったともいう。車で行くにしても、かなり激しいつづら折れを上っていく。この道は平安の頃からあったというが、その時代は明かりもなく、道も整備されていなかっただろう。旅人の気持ちは、いくばくなものか?思いを巡らす道中の先に茶屋ケ谷はあり、標高410mの山間から宮津湾や丹後半島の美しい光景がなんとも贅沢に望めるのだ。参拝を急いだかつての旅人も、きっと癒されたに違いない。隠れた絶景スポットだ。

サイドストーリー2

山間部の急斜面を利用した毛原の棚田は、地域ぐるみで環境保全などを行っており、田植えの時期、黄金の稲穂が垂れる収穫期、と四季折々の表情が美しい。時期に応じて、棚田訪問や生産者のレクチャーなどがあっても面白い。今回、旅人には、棚田米で作ったおにぎり弁当=古道弁当を味わってもらう。

日本三景の一つで、雪舟も水墨画で描いた天橋立。天井にいたイザナギの命が、天と地を行き来できるようにハシゴを作ったのだが、イザナギが寝ている間にハシゴが倒れてしまい、それが天橋立になった…。「丹後国風土記」にある天橋立の伝承だ。それから時代を経て、この界隈は聖地として成相寺や智恩寺、籠神社とセットで参拝することがトレンドとなった。その参道に見立てられた天橋立は、幕末の頃には、参拝の人で埋め尽くされたという。天と地をつなぐハシゴ。この眺望を望むことも、やはり忘れられない旅の思い出になるはずだ。その後は、元伊勢籠神社の正式参拝へ。

元伊勢籠神社(撮影:永田忠彦)
サイドストーリー3

豊受大神を祀る籠神社では、毎年藤祭りが行われているが、宮津の山間部、上世屋には藤織りが伝わる。藤の枝の繊維を叩いて織った布は、古代には海人族が着ていた。これは万葉集にも記述があるという。また、砂鉄をすくう際にも、藤で編んだ筵が使われた。過疎と高齢に伴い藤織りの技術伝承の危機があったが、現在は保存会が発足。藤織伝承交流館で藤織りの体験などができるので、合わせて立ち寄ってみたい。

3.伊根、浦島伝説を訪ねて

朝8時。伊根町にサイレンが鳴り響くと、どこからともなくやってきた人々が、伊根漁港へと急ぐ。伊根には魚屋がない。舟屋の宿の女将さんも近所の主婦も、みなバケツを持って、ここに買いにくる、それが伊根の朝の日常の光景だ。 実は一般の人も、この時間に来れば、自分で魚を選び購入することが可能。「浜売り」というシステムで、好きなものをバケツにいれて、量り売りしてくれるのだ。旅に美食はつきものだが、水揚げされたばかりのイカ、メバル、イワシ、サバ…旬の新鮮な魚をいただくこと事ほど贅沢なことはない。ここでは、漁港を訪ね、浜売りに参加。そこで購入した魚を地元の職人にさばいてもらい、お土産とすることが出来る。漁港で直接魚が購入できるのは、全国の漁港でも極めて珍しい。ぜひ体感したいものだ。

サイドストーリー4

浜売りで購入した魚をさばいてもらうのは、この4月に伊根に新しくオープンする観光交流施設、舟屋日和。さばいてもらった魚はお土産にすることができます。併設する鮨屋「海宮」で伊根の魚介類を堪能してもらう。その時に、伊根のレクチャーがあると良い。時間的に食事が難しい場合は、お土産用の折詰めにしても。

伊根漁港(撮影:永田忠彦)

伊根の舟屋から、車を走らせること10分。昔ながらの鄙びた漁村がある。ダイナミックな線を描くリアス式の海岸は、筒川という小さな川が流れ込こんでいる。浦島伝説についての記述がある丹後国風土記には「子らを思う嶋子が戸をあけると、常世の浜の波の音が聞こえてくる…」とするくだりがあり、それは常世の浜とも言われている、この本庄浜を指したものだ。さて、浦島伝説である。これは私たちが知っている浦島太郎とは、少し様子が違う。浦島太郎は、浦嶋子という名だった。実は亀にも乗っていなかったのだ!その真相を確かめに浦嶋神社へと向かう。

浦嶋神社は、宇良神社ともいう。825年、浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが始まり。開化天皇の後裔氏族である日下部首等の祖先で、その大祖は月讀命の子孫。よって相殿神として、月讀命も祀られている。静かな微笑みで旅人を出迎えてくれるのは、宮嶋淑久宮司だ。室町時代の初期に作られた「浦嶋明神縁起」を見せてくれるのだという。それは、筒川に住んでいた浦嶋子が、蓬莱山の国に行き、帰ってきてからの出来事を一枚の絵にまとめた、日本最古の浦嶋伝説を物語る絵巻だ。今回は、実に軽快な語り口の宮嶋宮司自らが、その絵解きを行ってくれるというから、浦嶋伝説の真相も含めて、楽しみにしたい。また、黒漆研出梨地に蒔絵を施した、豪華な玉手箱も見ることができる。

宮嶋宮司と浦嶋明神縁起
浦嶋神社(撮影:永田忠彦)

これは余談にはなるが。浦嶋神社の鳥居の下にたって、本庄富士を望む。夏至の日には、この山頂から朝日が昇るのを拝むことができるという。ちなみに浦嶋神社は、北極星の方角を向いていて天体に対する信仰も深い。さて、行きの道中で見た日室ケ嶽は冬至に山頂に日が沈む。それらは何を意味するのであろうか??宇宙や天体を巻き込んだ、なにやら壮大で神秘的な話だ。海の京都は、そんなドラマとロマンがそこかしこに溢れる地域。知れば知るほど、奥深いのだ。

巡礼ツアー コース例

1日目

  • 12:07 大江駅着(京都〜はしだて3号乗車)
     駅にて古道弁当をピックアップ
  • 12:30 清園寺(昼食)
  • 14:00 田中製紙工業所
    ※日室ケ嶽遥拝所(鬼ケ茶屋)
    ※毛原の棚田
  • 15:30 日本の鬼の交流博物館
  • 古道を抜けて、宮津天橋立へ
  • 天橋立着

2日目

  • 7:30 お宿を出発
  • 8:15 伊根漁港(浜売り)
  • 9:15 浦嶋神社
  • 10:30 案内人と伊根浦散策
  • 12:00 伊根の観光交流施設、舟屋日和でランチ
    ※藤織伝承交流館
  • 14:30 籠神社正式参拝
    ※天橋立ビューポイントへ
  • 16:30 天橋立駅解散(17:05はしだて8号京都行き)