「和の源流」豊かな自然で和紙作り

山と生きる

「和の源流」豊かな自然で和紙作り

 かつて人々にとって身近な存在だった和紙。生活の糧として全国各地で作られていたが、需要の低迷とともに数々の産地が姿を消していった。京都府北部に位置する「海の京都」では、今なお残る産地で伝統を守る人と、新たに和紙作りの工房を立ち上げた人がいる。

 残る産地の一つが福知山市大江町の「二俣(ふたまた)」。1軒の工房が「丹後和紙」として知られる府の無形文化財「丹後二俣紙(たんごふたまたがみ)」を作る。

 移住者の女性が立ち上げた新たな工房が宮津市上世屋にある。自然に囲まれた山村でできる仕事を考えると、たどり着いたのは紙すきだった。

 いずれも地元の原料や自然を生かし、その地ならではの和紙を作る。

丹後二俣紙を作る田中製紙工業所

丹後二俣紙を作る田中製紙工業所
田中製紙工業所

 二俣でたった1軒となった工房が、江戸後期からの歴史を持つ「田中製紙工業所」。5代目の田中敏弘さんは「その土地の原料を使って作る、その土地ならではの和紙」にこだわり、地域で受け継がれてきた和紙作りを守る。ワインで語られるテロワール(産地の個性)のように、和紙で二俣らしさを表現する。

大江山のふもとに産地

 二俣は、鬼伝説がある大江山のふもと。田畑や山ののどかな風景が広がる山村だ。以前は周辺の北原や天田内(あまだうち)などの集落でも紙すきが行われており、大江町は府内の代表的な和紙産地だった。特に盛んだった江戸末期から明治期にかけては、200戸以上で和紙が作られていた。

1300年の歴史

 なぜ、大江町が和紙の産地となったのだろうか。

 和紙作りに欠かせない水は、大江山から豊富に流れてくる。更に原料のコウゾは水はけの良い傾斜地でよく育つ性質があり、山々に抱かれた大江町には栽培に適した場所が多くある。元々、和紙は作りやすい環境にあった。

 慶長年間(1596~1615年)には、宮津藩に年貢として和紙を納めていたという記録がある。また、744年に書かれた正倉院文書「図書寮解(ずしりょうげ)」には紙の産地であることが示されており、1300年ほど前には和紙作りが始まっていたようだ。

 大江町で和紙作りは農閑期の仕事であり貴重な収入源だったが、洋紙の普及とともに需要は低迷した。紙すきは衰退していき、昭和40年代になると、和紙を作るのは田中製紙工業所だけになった。

コウゾの栽培から

コウゾの栽培から
コウゾを栽培する畑

 田中製紙工業所の特長の一つが、コウゾの栽培から手掛けること。以前は地元のコウゾを買っていたが、育てる担い手がいなくなった。他地域からコウゾを購入するという選択肢はあったものの、育つ場所が違えば性質も異なり、和紙の仕上がりに影響する。産地の個性を守るため、田中さんが自ら農作業も行い、地元産のコウゾにこだわる。

求められる和紙は変化

求められる和紙は変化
漆濾し紙を持つ田中さん

 田中さんが家業の紙すきの道に進んだのは40年ほど前。23歳だった。大学を卒業後、いったん別の仕事に就いたものの、父がすく和紙を求める人の姿を見てきたこともあって「この和紙を守っていかなければ」と継ぐ決心をしたという。

 伝統は守りながらも、それぞれの代で求められる和紙は変化していった。

 田中さんの祖父は、漆(うるし)から不純物を取り除く「漆濾(こ)し紙」を大きくすく技術を確立して漆職人の需要を取り込んだ。極薄でありながらも、漆を搾っても破れないほどの強度がある。今では漆濾し紙自体が珍しいものとなり、作れる産地は二俣のほかは全国でも1カ所しかないという。

 父の代では、はがきに加工することや染色することで和紙を民芸品とし、販売に力を入れ、百貨店に販路を広げた。

「自分の紙」を作る

「自分の紙」を作る
コウゾの繊維を強調した「白雲竜紙」

 祖父、父の姿を見てきた田中さんは「『自分の紙』を作っていく」と考えるようになった。その一つが、丹後で照明を作る作家からの要望に応えた「白雲竜紙(しろうんりゅうし)」。コウゾの繊維を強調し、独特の風合いを醸し出す。

世界でも認められる

世界でも認められる
文化財の修復に使われる和紙

 また、丹後二俣紙は、高品質の和紙を求める表具師のニーズに応える。20年ほど前から国宝など文化財の修復に使われるようになった。今では国内だけにとどまらず、海外でも美術館の展示品などの修復に用いられている。

 代々受け継がれてきた丹後二俣紙が、世界でも認められている。田中さんは「この地だからこそできる和紙を守っていきたい」と力を込める。

【田中製紙工業所】
住所:京都府福知山市大江町二俣1318
定休日:水曜
電話:0773‐56‐0743

田中製紙工業所

和紙作りの文化を発信

和紙作りの文化を発信
和紙作りの道具などが展示されている

 田中製紙工業所の隣には、大江町の和紙作りの文化を発信する施設「大江町和紙伝承館」がある。和紙作りの道具や和紙作品の展示があるほか、10人以上の予約があれば紙すき体験ができる。

【大江町和紙伝承館】
住所:京都府福知山市大江町二俣1883
開館時間:午前10時~午後4時
開館日:土・日曜、祝日
電話:0773‐56‐2106
電話(開館日以外):0773‐56‐1102(福知山市役所大江支所)

大江町和紙伝承館

山村の工房「いとをかし」

山村の工房「いとをかし」
紙すきをする大江さん

 日本海に突き出た丹後半島の中央に位置する宮津市上世屋。棚田や古民家がある日本の原風景のようなこの集落で和紙を作る工房が「いとをかし」だ。上世屋に移住した大江歩さんが、かつて山村の生業として人々の生活を支えてきた和紙に目を付け、2012年から主宰する。暮らしの一部に取り入れられるような身近な和紙を目指す。

上世屋での仕事に

上世屋での仕事に
コウゾの皮をはぐ大江さん

 大江さんは滋賀県出身。大学生の頃に上世屋の昔の記憶を残すマップ作りの事業に携わったことがきっかけで、上世屋とのつながりができた。地域や住民の魅力に引かれ、大学を卒業した2011年に京都府の「里の仕掛け人」(地域おこし協力隊のような仕事)として上世屋に移住した。

 「ここでできることはないだろうか」。移住後、上世屋で継続的にできる仕事を考えていた。地域のことを知っていくうちに、近くの「畑(はた)」集落にはかつて農閑期の仕事に紙すきがあったことを知った。山村で暮らす人々が身近にある自然を生かして作っていた和紙に関心を持ち、「上世屋で紙すきをやっていこう」と決めた。

原料の一つとなるトロロアオイを栽培する畑で作業する大江さん

 和紙作りの技術を身に着けるため、宮津ゆかりの和紙作家から指導を受けたほか、田中製紙工業所で紙すきを学んだ。そのためか、大江さんが作る和紙には丹後二俣紙との共通点がある。地元の原料や自然によって、その地ならではの和紙となることだ。田中さんと同じように、原料の栽培から紙すきまでを一貫して手掛ける。

オーダーメイドで

オーダーメイドで
和紙の糸

 和紙はオーダーメイドで作る。企業や個人などの幅広い層から注文があり、インテリアや内装といったものに使われる。また、丹後地域は「丹後ちりめん」などの織物産地なので「和紙の糸」の注文も寄せられるという。

配合する素材によって様々な表情を見せる和紙

 要望に応じて米ぬかやアワ、クマザサ、カカオハスク(カカオの皮)などを配合した和紙を作ることもある。依頼者が持つストーリーに合った素材を組み合わせることで、独特の質感を持つ和紙ができる。

身近な和紙を

 大江さんが目標とするのは、「暮らしの一部に関わるように身近な和紙を作る」こと。また高齢化が進む上世屋では、和紙の原料を栽培することは耕作放棄地の活用につながるため、「紙すきをすることで集落の景色の一部となっていきたい」と意欲を見せる。

【いとをかし】
住所:宮津市上世屋536-1
電話:0772-45-1032
※来場には事前予約が必要

いとをかし

綾部に「黒谷和紙」も

 海の京都にはこのほか、綾部市黒谷町の「黒谷和紙」もある。

綾部の隠れ里で受け継がれた上質の和紙「黒谷和紙」

「和の源流」を感じる

 海の京都には、昔ながらの日本らしさがある。古代からの歴史や文化、美しい自然が残っており、その一つが和紙だ。

 海の京都の工房や産地に足を運べば、「和の源流」が感じられるだろう。

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