ある⼈が⾔いました。「最期に、ばらずしを⾷べたい。」
丹後ばらずしは、すし飯の上に⽢⾟く煮付けた「サバのおぼろ」などの具材を彩りよく散らして作る、丹後地⽅独特の郷⼟寿司。全国の中でも丹後にしかない、このお寿司は、⽇本⼈にとって普遍的な味わいと⾔えるのかもしれません。
最期に⾷べたいもの。名物「丹後ばらずし」
まちと文化
ハレの⽇。絆のそばに、いつもばらずし。
丹後地⽅の各地で⾏われる祭り。そんな祭りの⽇になると、決まって家中に漂う寿司の⾹りがありました。それが丹後ばらずしです。⺟や祖⺟がつくってくれたばらずしが祭りの⽇に出されると、「今⽇はごっつぉうだぁ」と⾔って、笑みがこぼれる。ごっつぉうとは丹後の訛りで、「ごちそう」のこと。丹後ばらずしは、丹後⼈にとって何よりのごちそう、かつ、⼼にいちばん⾝近なお料理と⾔えます。
もともと祭りの⽇に作られる寿司でしたが、やがてお正⽉やお盆、誰かの誕⽣⽇、親戚や友達が集まる⽇などにも作られるようになり、その味が伝承されてきました。
「まつぶた」と呼ばれる浅い⽊箱にたくさんのすしをつくり、それを⽊べらで分けていく…たくさんの⼈がばらずしを⽬の前に、幸せな気持ちで語り合う姿が⽬に浮かびます。丹後ばらずしを作り⾷べるということは。家族や親戚、隣近所、そして地域をつなぐ絆のコミュニケーションだったのです。
決め⼿は「サバのおぼろ」、そして。
丹後ばらずしは、いわゆるちらし寿司の⼀種ですが、その独特さの決め⼿はやはり⽢⾟く煮付けた「サバのおぼろ」。おぼろとは、そう「そぼろ」のことです。このサバのおぼろが、⽇本の味に⽋かせない⟨旨み⟩を増⼤させ、⼦供から⼤⼈まで多くの⼈に愛される寿司になるんです。
丹後ではかつてサバがたくさん漁れ、それを浜焼きにして⾷べていた中で、おぼろになっていった、と⾔われています。そのおぼろがいつからか、家庭で寿司に使われるようになった…⼀種の発明です!
戦前は、そんな焼きサバを⽤いて作られ、保存⾷の役割も担っていた丹後ばらずしは、戦後まもなくサバの⽸詰が使われるようになりました。あまりにも多くのサバ⽸を使うからか?⼤きいサイズのサバ⽸が売られているのは丹後地⽅だけ。この⼤きなサバ⽸、実は絶滅の危機(?)があったのですが、そのお話は後ほど…。
まつぶたにすし飯を敷き、その上に⽢⾟く煮付けたサバのおぼろ、錦⽷⽟⼦、紅しょうが、かまぼこ、椎茸などを彩りよく盛りつけます。できたすしを切り分けて⾷べるのが丹後独特のスタイル。旬の⾷材を⽤いることで季節感も味わえます。
丹後地⽅全域で⼀定の共通点はあるものの、その形状や味、具材は様々。四⾓形や円形、すし飯におぼろを挟んだ2段タイプもあれば、1段タイプもあり・・・ごぼうや筍、かんぴょうなど使われる具材も地域や家々によって個性があります。
家庭料理ですから、そのスタイルに絶対の定義はなく、各家庭での味が伝承されてきました。個性は様々だけれど、その中でも⽋かせないのがサバのおぼろ。そしてもう1つ、ハレの⽇に味わったあの、幸せな気分です。
ばらずしを名物に育て上げた先駆者「とり松」
丹後ばらずしは昨今「丹後名物」として多くのお店でも⾷べられるようになりました。その中でも、先駆的にばらずしを世の中に広めたのは、京丹後市網野町にある「⽇本料理 / 寿司 とり松」です。とり松はばらずしの代名詞的なお店として、全国のファンを魅了しています。
とり松代表の前川昇平⽒は「丹後で⽣まれ育ったので、⺟がよく作ってくれたばら寿司は、馴染み深いものです」と話します。⼦供の頃、ばらずしは全国で丹後にしかないと聞き、「えっ、こんなおいしいのに?どっこにもない?」と驚いたそう。全国に様々なちらし寿司はあれど、この味のばらずしは無かったのです。
とり松がばらずしをお店で出すようになったのは、昭和53~54年頃のこと。先代である前川 修⽒が始めたのが最初です。ある⽇、お客様から「網野の名物、なんかないの?」と⾔われたことをきっかけに、ふるさとの味だった大好きなばらずしを、お店で⾷べられるようにしよう、と考えたのです。
当時はばらずしを出すお店など無く、周囲からは「売れるわけない」と⾔われ続けました。(丹後の各家庭で作っているおすし故)
残念ながらそれが現実となり、ほとんど売れない⽇々が続いたのです。ばらずしの仕込みは最低でも10⼈前以上にしなければならないのに、1⽇に売れるのは1⼈前出るかどうか。
作っては捨て、作っては捨て…の⽇々が続きました。悔しい思いをしながらも、ばらずしが好きで諦めきれなかった前川⽒は、「絶対、出るようになる。作り続けてやる」と思ったそうです。
そんなある日、京都府観光関係の方から「東京の百貨店の催事に出してみないか」と⾔われました。
いきなり、⼀週間のイベント。当時、催事の経験がなかったとり松は、これまで通り、最初はそんなに売れないだろう、と予想し、少なめに準備していきました。
ところが、イベントではあっという間に完売。追加を作るために、現場で慌てて作業をし、毎⽇徹夜で材料を炊いたそうです。お客様に喜んでもらうためなら、⾻⾝を惜しまない。意地とプライド、⾟抱強さ、そしてばらずしへの愛情が実を結んだ瞬間でした。
その後もとり松は「京都を盛り上げよう」という思いから、催事に積極的に出店。常にぶれない姿勢でばらずしの「おいしい味」を守り続けてきました。
原材料の価格が⾼騰しても、素材には妥協しない。世の中では産地偽装が⼤きな問題となっていた時もありましたが、とり松の出すばらずしは、正真正銘「丹後の寿司」。テレビの取材依頼でも、制作会社の台本で史実と異なるストーリーを描かれる場合については、出演はしない…と、何度も断ってきました。ばらずしを、丹後の歴史を守り続けてきたのです。
「商売も⾷材も、正直さが⼤切」と、前川⽒は語ります。
絶滅の危機!⼤きな「サバの⽸詰」
戦後、サバの⽸詰が使われるようになった丹後ばらずし。美味しく仕上げるには、あるメーカーの「⼤きいサバ⽸」でなければいけないのです。
⼤きい⽸のサバ⽸には、それに合う国産天然の⼤きなサバが使われます。サバは⼤きいほうが美味しい。そして、⽸詰メーカーが違うと、ばらずしの味が変わってしまうのです。
ところがこの⼤きなサバ⽸、ある⽇メーカーから製造中⽌の通達がありました。
⼯場は⻘森にあり、当時⼤きい⽸詰⽤の製造ラインがなく、いちいちラインを⼊れ替えて製造されていました。ところが、スーパーではこのサイズは売れない。⾚字の商品でした。
「丹後の⽂化が無くなる…」そう思った前川⽒は、丹後のばらずしを⼿に1200km 以上離れた⻘森の⼯場へお願いに⾏きました。⻘森に赴いた前川⽒は、何⼗年もかかってやっと認知されるようになってきたこと、ばらずしを⽬当てにお客様も増えてきたこと、そして何より、⼤きいサバ⽸が丹後の⽂化を⽀えていることを直談判。ばらずしのファンであるお客様からいただいた⼿紙も持参しました。
そして「これだけの数量は必ず買うので。数量は減らさないので。」と覚悟を⽰しました。
このことがきっかけで製造を続けていただけるようになり、今に⾄ります。
その後も⻘森⼯場には何度か出向き、その都度、スタッフの皆様に「この⽸詰が、丹後にとっていかに⼤切か」を伝え続けました。今もとり松のばらずしの味は、とり松の熱意とメーカーの⼼意気によって守られています。
⼿順を公開!丹後ばらずしが出来るまで。
とり松の料理⻑である小幡氏が、ばらずしが⽣まれる現場を⾒せてくださいました。
まずは、1つ1つの具材を⼿間ひまかけて準備するところから、ばらずしづくりは始まります。
こちらがばらずしに使う具材たち。左からかんぴょう、筍、椎茸、かまぼこ、錦⽷卵、サバのおぼろ、奥にグリーンピースと紅⽣姜です。美味しさはもちろん、彩りも考えられた具材たち。そのまま使えるグリーンピースなどを除き、料理⼈が1つ1つの具材を⼤型の鍋で煮炊きしています。もちろん、サバのおぼろも前述のメーカーのサバ⽸を使い、丁寧に⼿作り。
こちらは⼿作りの錦⽷卵。ばらずしに使われる錦⽷卵は、1⾷分に卵1個では⾜りないので、⼀度に沢⼭の卵を焼き、冷ましたあと丁寧に切り分けていきます。錦⽷卵は半熟ではなく、ちょっとよく焼くのが決め⼿。そのほうが⾹ばしくなり、ばらずしによく合うのだそうです。でももちろん、焼き過ぎは禁物。
丹後ばらずしの特徴はサバのおぼろですが、やはりすし飯は基本です。丹後は⾷味ランキングで最⾼ランクを連続受賞するなどの⽶処でもあり、ご飯の美味しさはばらずしの美味しさをしっかり⽀えてくれます。
すし飯は酢をしっかり混ぜたあと、すぐに冷まさずに、⼭なりに集めてしばらく置くのがポイントだそう。こうするとご飯の熱で酢がムラなくまわり、ベタベタしない酢飯に仕上がるとのことです。しばらく置いたらもう⼀度かき混ぜて冷まします。
具材とすし飯が準備できたら、いよいよ「敷き詰め」開始。今回は⽊枠を⽤意し、まず⼀番底にすし飯を敷きます。
すし飯の上にかんぴょうを散らし…
その上にたっぷりのサバのおぼろを敷き詰めます。
再びすし飯の敷き詰め。とり松は「2段スタイル」なので、サバのおぼろが飯と飯の間に挟まったタイプ。これは丹後内の各地域によって異なるところです。
2段⽬のすし飯の上には、やはりかんぴょうとサバのおぼろ。これでおぼろも2段になりました。
その上には⻭ごたえのいい筍が乗ります。
ついに登場、錦⽷卵。た〜っぷり敷き詰めてフワフワのじゅうたんが出来上がりました。
仕上げに椎茸、かまぼこを乗せ、
グリーンピースと紅⽣姜を乗せて完成!?
・・・いえいえ、実はまだメインイベントが残っています!そう、⽊枠をはずして、ばらずしがあわらになる瞬間です。準備はよろしいですか?
それではどうぞ!
ジャーン!(効果⾳)
サバのおぼろの層がしっかり⾒えるばらずしの姿、圧巻です!
これで終わりではありません。丹後ばらずしは元来、「切り分けて、⽊べらで集まった⼈に振る舞う」のが⾵習。今回は包丁で6等分に。
お⽫に盛り付けたら完成です!
最期に⾷べたいもの。
丹後の郷⼟で⽣まれた「丹後ばらずし」。今では丹後じゅうの多くの店舗で⾷べられるだけでなく、百貨店や道の駅、⾼速道路のSAなどでもよく⾒かけるようになったことと思います。
そんな丹後ばらずしには、何か強い魅⼒があるのでしょうか?こんな逸話があります。
ある⽇、とり松に1件の電話がかかってきました。⼤阪在住のその⽅は、余命わずかとなったお⺟様から、最期に⾷べたいものを聞かれたらしいのです。
お⺟様は、「とり松のばらずしが⾷べたい」と。
息⼦さんは、着払いでいいので送って欲しいと⾔われました。ところがとり松は、ばらずしの発送をしていない。だから「送れないんです」と答えました。
その代わりに、「届けます」と。
直接届けたばらずし。ご家族は泣いて喜んでくださいました。
実はとり松では、この「最期に⾷べたい」というお声が何度もあったようなのです。とり松の商売や素材への真摯な姿勢が垣間⾒えるエピソードです。
※とり松では基本的にばらずしのお届けは承っておりませんので、何卒ご配慮をお願いいたします。
数ある⾷品の中で、⼈⽣の最期に選ぶもの。あなたなら、何を選びますか?
もともと丹後ばらずしは、郷⼟料理です。普遍的な懐かしさや、何かしら⽇本⼈が求める味わいを持った寿司なのかもしれません。
これからも、多くのファンの⾆と⼼を幸せにする味として、受け継がれていくことでしょう。