舞鶴、国文化財の銭湯「若の湯」と「日の出湯」癒やし

まちと文化

舞鶴、国文化財の銭湯「若の湯」と「日の出湯」癒やし

 主要な観光地に訪れたあとは、体の疲れを癒やしつつもそのまちの文化や歴史に触れることができる銭湯を巡ってみてはいかがだろうか。海の京都の港町、舞鶴市には国の有形文化財に登録された2軒の銭湯が営業している。「若の湯」(舞鶴市本)と「日の出湯」(同市東吉原)。営業している銭湯が複数登録されている自治体は全国になく、地域住民のみならず全国の銭湯ファンも足を運ぶ貴重な2軒の銭湯を紹介する。 

京都舞鶴の「若の湯」「日の出湯」

 全国に2万軒余りの銭湯が営業していた昭和40年代。当時、舞鶴の西地区には9軒、東地区には13軒もの銭湯があったが、一般家庭への浴室の普及などで利用客が減り、舞鶴の銭湯もその多くが廃業した。今は西地区の2軒を残すのみとなった。

商店街に建つ洋館風の銭湯

商店街に建つ洋館風の銭湯
レトロな洋館風の若の湯

 西舞鶴のアーケード商店街を抜けると目に入るのが「若の湯」。レトロな洋館風の建物が特徴で、有形文化財には2018年5月に登録された。国の文化審議会からは「華やかな印象で近代舞鶴の発展と賑わいを伝えるとともに、市内に残る数少ない銭湯の一つとして貴重」と評価された。

 創業は1903(明治36)年。現在の建物は1923(大正12)年に建設された。敷地中央に切妻造りの玄関棟を構え、左右の浴場棟につながる。4代目の若井康江さんによると、当時の政府が洋風の建物を推奨しており、西欧の建築様式を学んだ親類の建築士が設計を手掛けたという。

ペンキ絵が自慢

ペンキ絵が自慢
男湯に描かれた富士山と天橋立

 湯は環境省の平成の名水百選に選ばれた「真名井の清水」を使用。何よりもタイル絵が多い関西の銭湯では珍しい「ペンキ絵」が若の湯の自慢だ。

 ペンキ絵は東京の銭湯絵師、中島盛夫さんが2016年に描いた。女湯では赤富士と滝、男湯では富士山と天橋立の絵が楽しめる。露天風呂が好きという若井さんは「素晴らしい風景に思いをはせ、ゆっくりと風呂に浸かってほしい」。

「人と人をつなぐ場を守りたい」

「人と人をつなぐ場を守りたい」
「人と人をつなぐ銭湯の役割を守っていきたい」と話す女将の若井さん

 湯ぶねには若井さんがメッセージを書いたヒノキの板が浮かび、木の香りが漂う。板には利用客への感謝の思いや、クスッと笑える銭湯川柳などが書かれており、会話のきっかけになればという。若井さんは「元々、銭湯はコミュニティーの場。今後も可能な限り営業を続けて人と人をつなぐ銭湯の役割を守っていきたい」と語る。

若の湯 ウェブサイト

漁師町に残る町家風銭湯

漁師町に残る町家風銭湯
町家造りの日の出湯

 一方、歴史のある西舞鶴の漁師町、吉原地区に残るのは「日の出湯」。細い路地に建つ町家造りの建物で、2階には床の間付きの和室が残る。国有形文化財には2021年2月に登録。「上質な床付の座敷を配すなど戦前の町家風銭湯建築の有様を示す」との評価を受けた。

日の出湯が営業する吉原地区。景勝地としても知られる

 吉原地区は江戸時代、漁民のための町として水路を掘削し、区画整理されたまち。水路に沿って規則正しく家屋が並ぶ風景はイタリアの水都ベネチアのようともいわれ、観光に訪れる人も多い。

漁民の暮らしを支える

漁民の暮らしを支える
昭和レトロな雰囲気が漂う浴場

 そんな江戸期の風情を残すまちの銭湯が日の出湯だ。日の出湯の髙橋一郎さんによると、創業は1920(大正9)年で、元々は町が運営する共同銭湯だった。大正期に先々代が経営を引き継ぎ、漁民の暮らしを支えてきた。

 だいだい色と白ののれんが目印だ。脱衣場の壁や洗面所、床には大小様々な色とりどりのタイルが施してあり、昭和レトロな雰囲気が漂う。

 湯は創業当時から変わらず、井戸から汲み上げた五老ケ岳の伏流水を使用。角丸長方形の浴槽の形も創業から変わらず、1954年にタイル張りに。創業時は浴槽と床も石造りで、道後温泉のような感じだったという。

「日本の銭湯文化を伝えたい」

「日本の銭湯文化を伝えたい」
「日本特有の銭湯文化を伝えたい」と話す髙橋さん

 2階の和室は床の間、書院、違棚などが残る立派な座敷でほぼ建築当時のまま。住民の代表らが集まり、祭りやまちの憂い事などを話し合う場所だったといい、今も特別な空間だ。

 小学校教諭を定年退職後、母から銭湯を引き継いだ髙橋さんは、「銭湯は外国にはない日本特有の特別な文化。日本人の健康維持にも役立ち続けている。この和室とともに残し、文化を伝えていきたい」と話している。

日の出湯 ウェブサイト(京都府浴場組合公式)

銭湯の魅力とは? 徳さんに聞く

銭湯の魅力とは? 徳さんに聞く
「徳さん」の愛称で親しまれている徳永さん

 銭湯が残るまちには、地元の銭湯を応援する市民がいる。西舞鶴のまちづくり団体、一般社団法人KOKINの副理事長で同法人の〝銭湯部〟の部長を務める徳永啓二さん=舞鶴市富室=もそのひとり。その銭湯好きは有名で〝徳さん〟の愛称で銭湯を紹介するガイドブックなどにもしばしば登場する。徳さんに銭湯の魅力を聞いた。

銭湯のガイドブックに登場する徳永さん。お湯に浸かり、日の出湯を紹介していた

 ―銭湯が大好きと伺っています。
 「ほぼ毎日、若の湯か、日の出湯に通っており、習慣となっています。大工をしているのですが、舞鶴市外で仕事をするときは、その土地の銭湯を探して入浴することもあります。銭湯に通うきっかけになったのも市外の銭湯でした。ファンとの交流が銭湯の魅力で、風呂上がりに一緒にお酒を飲むことも楽しみの一つです」

 ―KOKINの銭湯部について教えてください。
 「若の湯さんが改修されたのを機に再オープンを盛り上げようと発足し、『若の湯まつり』を開催しました。再営業に向け、KOKINメンバーのデザイナーが手掛けたTシャツやタオルなどのオリジナルグッズを作ったほか、再オープン当日は、男湯と女湯を逆にして営業しました。地域の方や遠方からの銭湯ファンも集まりました」

 ―銭湯ファンは全国にいるのでしょうか。
 「サウナブームに乗って銭湯ファンは増えているようです。東京でも銭湯は流行っていますし、京都市内では若い事業者が銭湯を復活し、滋賀や愛知など計5軒も営業しているそうです。どこも大繁盛で、若い人の注目が集まっています」

 ―若の湯の魅力を教えてください。
 「まずは洋風の建物。これだけ立派な看板建築は珍しく、間口も広いため迫力がありインスタなどのSNS映えもします。そして関西ではあまり見ない浴場のペンキ絵は必見です。女将さんがアットホームで、いろんな営業努力をされているところも魅力だと思います」

 ―日の出湯の魅力は。
 「外観は若の湯と対照的な町家風です。五老ケ岳の伏流水を使用する湯は少し熱めで、よく体が温もります。のれんがなければ完全に街並みに溶け込んでしまう外観も魅力ではないでしょうか。京都市内に行かないと味わえないような貴重な風情が残っています」

 ―それぞれの地域やまちの文化を伝える銭湯ですが、徳永さんが伝えたいことはありますか。
 「まずは利用し入浴してほしいですね。地元の方は旅行などの際にその土地の銭湯を探して入浴してみることもきっかけになると思います。これまで商店街や若の湯を見学し、日の出湯に入浴する街歩きツアーを実施したことがありますが、各地で開催されている銭湯ツアーに参加してみるのも良いと思います」

 ―舞鶴に訪れる方には?
 「舞鶴に残る銭湯は洋館風、町家風と対象的な点が大きな特長です。市外から訪れる方は舞鶴の銭湯を〝はしご〟し、それぞれの魅力を感じてもらいたいですね。また、舞鶴に隣接する福知山市には2019年、惜しまれながら115年の歴史に幕を下ろした『櫻湯』という銭湯があります。今、地元や市外の銭湯ファンらと『チーム櫻湯』を立ち上げて、復活させようという取り組みを始めています。櫻湯の再生がかなえば、海の京都の歴史ある銭湯を巡るツアーを開催し、全国のファンを呼び込みたいですね」

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